2006年05月12日

グリーフワーク

一応知っていますよ to Gill

 デカいダメージには誰かの助けが必要なのかもしれない。でも俺は誰かに助けを求めるような性格ではないので、というかなんだろ・・・そういうのが苦手なのかもしれない。大体のことは自力で何とかしようとするタイプなので、自力で頑張って忘れようとしている。と考えていても、「いやいや、あんなに頑張っていた彼女のことを忘れてはいけないだろ」と考えちゃったりするから余計悪いのか。。まぁそういう事も全部まとめてワンセットで消化しなければいけない。等と堂々巡り。(俺は一人堂々巡り議論をいつもしている)

 まぁ人間は必ず死とセットになっているのは了解しているのだが、何というか、あまりにも近すぎる距離での出来事でダメージが相当デカいのだろう。彼女が居なくなってからずっと考えてはいたのだが、冷静に自分のダメージ分析してみると、こんなのと一緒にしては失礼だが、禁煙した時のストレスのようだ。
 いつも椅子に座って一服、メシ食ったら一服、等々無意識にやっていた事が出来なくなったイライラ。一度禁煙した経験がある人ならわかると思うが、そんなストレスに似ている。会社に行けば彼女が出社する、仕事を頼む・頼まれる、バカな会話をする、等、普段当たり前だった環境が一瞬にして消え失せ、いちいち、何かをしようとする度に彼女の逝去を思い出し、「もう居ない、会えないんだ」等と思い出すのがストレスなのだ。もし遠く離れた友人の死だったら、思い出す機会の少ない人だったら「もう居ない」という事を思い出す頻度も減るので、大分楽なんだろうな。ちょっと乱暴だけど、そんな感じな訳です。

 もう一つは彼女の当時の状況に対する残念さ。もっと偏食を怒ってやれば、もし時間が数時間ずれていたら助かったのじゃないか、俺がそばに居るときだったらFirstAidsの心得があるので何とか出来たかも、具合が悪くて入院でもしててくれた方がよっぽど良かった、等々悶々と考えてしまうのである。もうどうにもならないのはわかるのだが、そういう微妙なタイミングが残念過ぎて、んー、まぁ残念過ぎるのだ。

 もちろん家族の方がダメージはデカいだろう、生まれてから30年彼女と生活をともにしたのだから。俺と彼女との付き合いは5年なので家族の6分の一の長さしか生活していない、でも一日8時間という、普段の家族との生活以上に近い立場で一緒に過ごしたので、ある意味彼女は会社という箱の中の家族だったんだろうな。

 今は、彼女はうちの会社が大好きだったので、何とかして会社を成功させなければ、それが供養になれば、等と考えています。

 思いつくままに書いたので意味不明かもしれないけど、今俺の頭の中をグルグルしている考えは一部ですが、こんな感じです。明日は告別式に行ってきます。

Posted by hide at 2006年05月12日 02:03 | トラックバック
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コメント

彼女、30歳かぁ・・・。私もおんなじだ。
何か、胸の詰まるような気持ちです。

Posted by: yukoji at 2006年05月14日 04:34
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