Q: 最初にバンドとして演奏し始めた時には、Roger & The VeilsとRoger & The Hungry Peopleというバンド名だったそうですが?
RT: ええ。10歳から15歳の間高校生の頃のバンドがRoger & The Veilsです。実際はLittle Roger & The Fabulous Veilsでした。これが私の最初のバンドです。その頃にもLester (Troutman)は私と一緒に演奏していました。その後私が活動を広げて、もっとお金を稼ぐようになった時にバンド名をRoger & The Human Bodyに変更し今の我々、Zappになりました。
Q:
その最初のバンドによるレコーディングは存在するのですか?
RT:
ありません。いや、本当は1枚シングルがあるのですが、どこのレーベルから出したのかも覚えてないです。あまりに地元のことで、長年経ってるので忘れちゃいましたよ。
Q: 1976年に最初のアルバムである、Roger & The Human Body, Introducing Rogerが出ましたよね。当時の演奏者は誰だったのですか?
RT: Bobby Glover, Beverly, Lester...それ以外は思い出せないです。
Q:
なぜドイツでSoulcietyレーベルによって再発行された時にバンド名とアルバム名が変更になったのですか?
RT: 兄であるLarryが私のビジネスマネージャーをしているのですが、当時Soulcietyレコードから連絡を受け、契約をしたのです。これは驚きました神の仕業というか、私が1976年にレコーディングをした時には、17年も経った後で再発行されるとなど夢にも思わなかったのですから。とても、とても、すごいことですよね。
Q: あなたは同レーベルにてThe Human Bodyと一緒にLove T.K.O.(元曲Teddy Pendergrass)をレコーディングしているのですよね。他にもシングルやアルバムを出す予定があったのですか?それとも1枚だけだったのでしょうか?
RT:
それはそれだけでしたね。来て、行っちゃいました。
Q: あなたは弟のLarryについて先におっしゃっていましたが、他の兄弟は何をしているのですか?
RT:
最初は、全員の頭の中はそれぞれがスターになろうとすることで一杯でした。ソロアルバムといったようなものです。しばらく経ってから、私に集中した方が良いということに気が付き、企業として動きお金を稼ぎレコーディングすれば良いという風に変化して行きました。一つのことに集中して、もっと高い成果を得たのです。 Lesterは経理関係を管理しており、他にもすべてのものが地理的にある場所からある場所へちゃんと移動しているかといったことを管理しています。Terryは交通手段を確保し、Larryは法律面と経済面からすべてのことを管理しています。
Q: 他にもRufusがいますよね。姉妹はいないのですか?
RT:
Rufusはオハイオ州で我々の建築会社を担当しています。この会社は完全に彼のものです。私には一人だけ妹(姉?)がいます。LorettaはRufusの元で仕事をしています。彼女は電気技師の資格を持っていて、歌いたいと思ったことも無いのです。小さい頃から電気技師になりたいと思っていたのです。
Q:
あなたの作品の中には、たくさんプロデュースをしているものがありますが、いくつか作品名を挙げてもらえますか?New Horizonsはどうなったのでしょうか?
RT:
CBSで2枚レコードを出した後、契約が切れました。バンドは解散して、Bart(Thomas)だけは私について来ました。彼は音楽業界で仕事を続けることにしたのです。それ以来私と一緒に仕事をしてきています。彼はとても熱心な戦士のようなミュージシャンです。
Q: そしてShirley Murdockは?
RT:
私はエレクトラ・レコードにて三枚Shirleyとレコーディングしたのですが、その後Shirleyはエレクトラに幻滅してしまいました。エレクトラがあまりに大きかったために、Shirleyは思っていた程注目されなかったのです。そのため、エレクトラからワーナーブラザーズに移籍しました。今もワーナー在籍で、新しいレコードを作っています。
Q:
次のリリースの予定日は決まっているのでしょうか?
RT:
えぇ、ドイツ、日本での演奏が終わって、インタビューも止めれたら...(笑)。いや、本当は私がゆっくり仕事をしてるからなんですよ。でもShirleyはダイナミックな歌手ですからね。
Q: Bobby Gloverはどうですか?
RT: BobbyはLove T.K.O.でフューチャリングされています。でも、Bobbyは今は歳をとってツアーで旅行をするのに疲れてしまったので、もう納得するまでやったからということで家に戻って子供を育てることに決めたのです。今はフットボールのコーチをしています。実は私が最初に会った時、彼はフットボールのスターだったんですよ。というわけで、彼は初恋の場所に戻ったわけです。でも私は、Bobbyと一緒にまた仕事をしようとしているのでけどね。Bobbyは私の親友でもあり、とても熱心で偉大な歌手だからまた戻って欲しいですからね。
Q:
そして我々が持っている名前のリストの中では最後の人達、Dick Smith, Sugarfoot(Ohaio Playersメンバー),Jesse Raeは?
RT: Jesse Raeについては知りません。彼はなんというか、消えちゃいました。レコーディングを一緒にやって、とても面白かったのですがね。
Q:
私は彼がスコットランドにいると聞いているのですが?
RT:
Sugarfootは、私が言ってるのは現在のSugarfootのことですが。次のレコードでは彼にCameoのふりをして登場して貰おうと思っているので。Sugarfootはまた上昇してくると思います。彼のソロ活動についてはよく知りません。この仕事をしていると、次に何が起きるか言うのは難しいのですよね。Dick SmithはワシントンD.C.にいます。彼との契約は終了しました。プロデュースすると自分の中からたくさんのものを引き出されて、終わった頃には自分にこう言い聞かせるのです。「辞めよう。もう十分だ。もう今の自分にできることはやった。なすがままにしよう。」またグループを結成する必要があるのですよね。でも最近面白く思えるのが、過去数年間、特に今ですが、たくさんのヒップホップアーティストが私の音楽をサンプリングしているのですよね。いくつかのアーティストは私に作曲をしてもらいたがっているのです。例えば、ベイエリアのグループであるE-40はレコードを最初から作りたいと私に接触してきました。彼らのために、Scandalousという曲をコンピューターラブを元にしてプロデュースしました。アメリカでは結構売れたみたいです。こういう仕事は私がこれからやりたいと思っているものです。前を見た所、ラップグループが私をサンプリングするのではなく、ラップグループをプロデュースする側に戻ったような感じです。お金が直接私に入って来ますしね。(笑)。後は、Dr.DreとTupac Shakurが数ヶ月前に曲を作って欲しいと言って来ています。今この動きが爆進しているみたいで、アメリカで驚異的な売上を出しています。MTVのビデオでも1位を取っていますし。もちろん私もこんなのは予想していませんでしたよ。
Q:
それも私達の質問の一つに入っていました。EPMDの頃に戻ったようなラップとの係わり合いですが。先々の予定などあるのですか?
RT:
これは新しいニュースですが、文字になるのはこれが初めてですし。今から言う契約は数日前に締結されたのです。ちょっと歴史について言うと、前にSnoop Doggy Doggと曲を作ったことがあります。SnoopにはL.B.C(Long BeachCrew)という名前のグループも持っていて、彼らのために何曲か作ったこともあります。その後でA Thin Line Between Love and Hateという映画を作っていたプロデューサーのMartin Lawrenceから連絡を受け、曲を作って欲しいと頼まれました。ここでChocolate Cityを作ることになります。
Q: それがParliamentの曲ですか?
RT:
いや、これはParliamentとなんの関係も無いのです。映画の中に出て来るクラブの名前です。その後、H-Townというグループの曲のカバーを頼まれます。そこでThin Line Between Love and Hate をH-TownとShirley Murdockと供にリメイクします。これはアメリカで出たばかりで、発売から1週間も経っていないのに狂ったみたいに売れています。これはヒットになる感じがしますね。この2曲を作った後で、プロデューサーから映画の作曲全部を頼まれます。ドラマティックな場所とか・・・分かるでしょ(歌い出す)これはすごいチャレンジでした。これが今終わったばかりで、Martin Lawrenceはとても喜んでいます。ここまでが、最近までの出来事です。最近あったこととしては、Warner Bros.と契約しました。Greatest Hits アルバムを作って、その中に4曲新曲と、H-Townの曲が入ります。たぶん、TupacのCalifornia LoveとL.B.Cも入る予定です。後は私が作曲した曲の断片が端々に入る予定です。なので、新曲4曲も含め、このアルバムを買わないと手に入らないユニークなものになると思います。たくさん思っていることがあります。恐らくロングバージョンのDo It Roger, Grapevineが入ると思います。後はオマケとしていくつか余分に何か入れるでしょうし。考えてみたら、これの中からいくつか入れるかもしれないです。(彼が言っているのは、Geniusが持ってきた1976年のSoulcietyのLPのCDシングルのことです。)このGreatest Hits no.2には2,3曲ジャズを入れることも考えています。幅広いアルバムになると思います。良いアイディアだと思いますが、どうでしょう?
Q:
凄い!ロングバージョンは特にいいですね。かつてソウルミュージックではクラッシックと言われる曲、「Grapevine」や「In the midnight hour」などをカバーしていますよね。他にはどんなお気に入りの曲をカバーする予定なんですか?昔インタビューで「Knee deep」をやりたいとも答えていらっしゃいましたよね。
RT:
その曲はやりたいね。私は熱狂的な信者ではないのだけど、神が主であり、全ての栄光は神から来るというのが分かるようになってきた。だから今やろうと思っているのは、ファンキーなRoger風の「Oh Happy days」をやろうと思っているんだ。(ゆっくりとしたグルーブで、コンピュータのリズムを真似しながら歌い出す。)(笑)バックコーラスには、Mississippi Mass Choirを迎えて、リード・ボーカルには数人Dick Smithのようなしゃがれた声の人に頼んで。後は、ファンキーなRoger風「Livin for the city」(Stevie Wonderの大ヒット曲)をストリート系のハードなラップでやろうと思っている。(Rogerがラップを始める)この2曲は、次のGreatest Hitsに入る予定です。他にもカバーが入る可能性があって、今他のレコード会社から声がかかっていて「History of R'nB'」というアルバム名で、歌とリメイクが入った物を作る可能性があるんです。Mary J. BligeとShirley Murdoc二人一緒に一曲歌って貰ったり、Eddie Levert (O'Jays)とJohnny Gill (元New Edition)に誰もが好きなクラッシックを歌って貰ったり。CoolioとKurtis Bloがやる「Beauty is only skin deep」とかはみんな気に入るはず。と言っても、夢みたいですね・・・
Q: トークボックスの演奏を初めて見た人には、どうやって説明しますか? ヴォイスバッグという機械も70年代のギタリストが使っていたそうですが。
RT: そう、それは同じ物ですね。Joe Walsh(the Eagles)によって有名になりました。後は、Peter FramptonとJoe Perry(Aerosmith)。私が説明するとしたら、「アフリカのロボット!」「ゲットーロボット!」って言います(笑)
Q:
トークボックスは最近見かけないんですが、誰かメンテナンスをやってくれる人がいるんですか?演奏できる状態に保つのは難しそうですよね。
RT:
いい質問ですね!ホントにいい質問です。Lesterと私は、トークボックスがどのように作られているか勉強したんです。パーツがどうなっているのかを調べて、自分で組み立ててみて。メンテナンスをしてくれる人がいるわけではなく、自分でやっているんです。とてもとてもメンテナンスが大変で、いつも頭痛の元です。2個ステージに置いているのも、1つが壊れても大丈夫なようになんですよ。一つのトークボックスの中に2個メカニズムが入っていて、確かに問題なんです。
Q: 歌の中で、マザーシップから貰ったと歌われている「Maxx Axe」についてはどうですか?
RT: 本当の話なんです。1978年にBootsyがギター・シンセサイザーを買ったんです。世界でも最初に作られたもので、とても大きくって、とても厄介で、とても扱うのが大変で、だけどとても新しかった! 買ったはいいけど、いい音で鳴らすことができなかったので彼がプレゼントとして私にくれると言ったので、貰ったんです。音を鳴らしてみて、それについて曲を書いてみて、Maxx Axe、マキシマム・ギターと呼ぶことにしたんです。確かにBootsyがくれたので、マザーシップから来たんです。
Q: 同じ繋がりで、George Clintonとの仲はどうなんですか?
RT:
大親友です。詳しく説明するのは難しいんですが、私はGeorgeには愛以外の何もないんですが。長年の友人で、法的に問題があったりもしたんですが、全部それも解決しました。ビジネスではなんでもお金、お金、お金となって難しいですよね。
Q: 最初のZappのLPを作った時にBootsyはどのように関わっていたんですか?
RT:
二つのストーリーになりますね。一つ目は、子供の頃から一緒でバンドやタレント・ショーで演奏していつもライバルでというもの。二つ目は、私は当時オハイオ州にあるクラブで演奏をしていて、Bootsyの兄弟の...
Q: Catfish?
RT:
そうCatfishが私の演奏を見に来てくれたんです。演奏に感銘したCatfishが家に帰って、Bootsyにこう言ったそうです。「こいつと契約しなくちゃ!」その次の日に、Bootsyが電話をしてきて、デトロイトに来てレコーディングしないかと言うんです。「もちろん!」と返事をして、その後は次から次へとあなたが見ている通りです。私の人生はドリーム・カム・トゥルーなんです。神にたくさん祝福を受けました。20年も経って、まだ仕事ができている。ラップのコミュニティーができていて、私の音楽を取り入れて、再び使っていて。Dr. DreやTupacと一緒にやっていた頃は、若いラッパーがたくさん周りにいて、冷めた目で見られたものです。(彼らの歩き方を真似する。)でも、私に向かって「Troutmanさん」と呼ばれたりすることはいい気分ですね。彼らは音楽、私が象徴するもの、長く楽しまれている音楽であることにリスペクトがあって、このビジネスの中ではそれは中々ないことなんです。アーティストは砂漠の中にある牛乳のようなもので、長時間持たないんです。長くもつのは巧みにやらないと難しいんですよ。
Q: バンドの名前はあなたの兄弟Terryのニックネームからついたそうですが、なんでZappになったんですか?
RT: ある日ちょうどMore Bounceを終わらせて、George Clintonと話していたんです。彼はこう言った「私にはParliamentがある。Funkadelicがある。2個もバンドがあるけど、君とそのバンドのRoger & The Human Bodyという名前でCBSレコードと契約したい。でも、More Bounceを他のバンド名でワーナー・ブラザーズに持って行こう。」素晴らしいアイデアだと思った私は、バンド名を考えなくてはいけなくなった。ちょうど弟が立っているのが見えて、彼のニックネームは音楽の響きにぴったりだなと思ったんです。Zapp!