12月 202007
 

 今日は誕生日祝いということでいつものバーで飲んでいた。そう、いまベロベロ、というかデロンデロンです。
 それよりも頭に来たのが今日の飲みの席で話題になった「ゆとり」についてだ。
 同席していた人達が言うには、彼ら・彼女らはその「ゆとり教育」によって新たなスキルを見つける(?)とか、どうせ俺たちは数十年後には死ぬんだからとか、要するにどうでもいい風な、そんなことを問題にするな風な事を言われた。
 だが、俺は誰がどう言おうと「ゆとり教育」世代の人達は、彼ら自身の責任で「ゆとり教育」を受けた訳では無く、当時参政権があったババァ連中が、子供に受験戦争を経験させたくないとか、我が子かわいさの温室育ちをしたくてやっただけの、ただの愚策と思っている。
 絶対納得出来ん。
 ゆとりの人達にかわいそうだと言ったら失礼だけど、当人が当たり前に生きてきたのに訳も分らずにバカにされるのは許せない。この環境を作ったのは俺らなのだよ。この環境を作った俺らが苦しむのは当然だが、それを当たり前として教育されたゆとりの人達に罪はない。人生のその「時」は、だれでも平等に一度しか無いのだよ。挽回は出来るだろうけど、取り返しの効かない時間はもうすぎている。
 ゆとりを攻めるのなら自分の首を絞めろ。
 でもいくらむかついても犯罪は起すなよ。
 と、ベロンベロンに酔っぱらいながら、思うのであった。
 かしこ


 Posted by at 03:23

  2 Responses to “ゆとりについて”

  1. ゆとり世代はカワイソウだよね。誰が責任とるんだろうね。

  2. 責任>
    ゆとり政策をすすめた政治家を選んだ国民全員。

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